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渋谷のタワレコへビヨンセを召喚する ——『ゼロ年代の想像力』を読んで

前置き

 

これはPARAでの幸村燕さんによるゼミ「加速主義とゼロ年代批評を横断する批評的縦断の実践」の課題で提出したエッセイである。

 

このゼミでわたしは加速主義やゼロ年代批評の著作に触れることができた。社会情勢とカルチャーとを結んでみるという、自分にとってチャレンジングな課題に取り組んだのもこのゼミが最初だったと言っていい。

 

課題には「2,000字程度でまとめる」という条件もあった。普段、字数制限もなくブログを書いていたわたしにとっては学ぶことが多いゼミだった。

 

 

 

サブカルチャーを完全に無視して今のアートを観ることは不可能だろう。このゼミで提出したエッセイを5本ほど、このブログに載せようと思う。

 

すでにゼミの中で幸村さんによる校正が一回入っているが、掲載するにあたり再度自分でも加筆修正した。また、当ブログでのレギュレーション (例:私→わたし と表記) に則って改訂している。

 

 

 

 

 

1つめは、宇野常寛 (2008) 『ゼロ年代の想像力』 早川書房 を読んでのエッセイである。本文中のページ表記 (p.XX) は 『ゼロ年代の想像力』 のページ数を示している。自分で読み直しても可笑しいくらいに「絶望を焚べよ」に書いたことと結論が似ていて驚いた。

 

 

 


今、わたしの頭の中でデスティニーズ・チャイルドの「サヴァイヴァー」が流れている。アマサヴァーヴァー (ワッ) アムナッゴギーヴァッ(ワッ) というアレである。というのも宇野常寛 『ゼロ年代の想像力』 に 「サヴァイヴ感」 (p.19)なる語が飛び出してきたからである。

 

本書は就職氷河期世代の成長の記録である。

 

著者の宇野とわたしは同じ1978年生まれだ。1978年生まれは就職氷河期コア世代と言われる。本書でも重要な年とされる1995年には、わたしと宇野は17歳である。当時のわたしは1999年に世界が滅亡するという予言を半分くらい信じていた。あと四年で終わるなら世界に期待なんてしない。だからいくら引きこもっていてもよかった。そんな心情も抱きやすい年齢だった。

 

しかし、21歳になったその1999年に世界は滅亡しなかった。「何か」は起きなかったのである。今度は自分の中に「何か」がないか、あればそこにアイデンティティを全振りしたい思いが湧き上がる。そんな心境にもけじめをつけ、そろそろ現実的な考え方をしていかねばならなかった。

 

そして、アメリカ同時多発テロ事件が起きた2001年にはわたしは23歳になっていた。その年に冒頭の「サヴァイヴァー」がリリースした。浪人も留年もなく四年制の大学を卒業できたわたしがバトル・ロワイアルさながらの就活戦争の中で内定を勝ち取っていた場合には社会人一年生になる。しかし、社会で生き残ることは想像以上に厳しかった。労働基準法も守られていなかった時代の激務は続かない。その後の履歴書はめちゃくちゃだ。ここで昔の苦労話がしたいわけではない。友人が二人自殺したこと。わたしの現実としてはそれで十分である。結局、わたしはサヴァイヴァーなのだ。

 

ゼロ年代を生きたわたしには、本書で挙げられる作品名にことごとく聞き覚えがあった。ここに並ぶ作品群は時代を反映しているものだからだ。

 

一つ言っておかなければならないことがある。氷河期コア世代の人口は多い。雑誌もこの世代をターゲットとするのが常で、わたしが30歳を迎える少し前に30代向けファッション誌が創刊されたということからもわかるように、世の中のほうが自分の成長に合わせた話題を提供してくれていた。10代の引きこもりの精神 (『新世紀エヴァンゲリオン』) から、特別なアイデンティティにすがり (『永遠の仔』)、社会に出る頃には現実的な決断を受け入れ (『DEATH NOTE』) 、能力主義に傾倒した後 (『ドラゴン桜』) 、競争に疲弊し虚構と戯れ癒されるか (セカイ系) 、そして現実の環境や人間関係に意味を見出すか (宮藤官九郎) というように、本書に登場する作品群の商業的成功は人口の多い氷河期コア世代の成長過程にリンクする、と言えるのではないだろうか。

 

そして宇野は、現実社会のバトル・ロワイアルに破れた氷河期コア世代の大多数に対して、データベースが生んだ排除の社会に引きこもらずに違う世界に向けてコミュニケーションの「ドアを開けろ(p.330)」と言う。この本は出版された2008年の氷河期コア世代に向けられた、完全サヴァイヴァルマニュアルなのだ。

 

本書が就職氷河期世代アンソロジーだとしても、その意義は大きい。それは単に、日本の歴史としてこの世代とその文化的影響を記しておくべきである、ということではない。文化を批評することはその文化の生き残りに寄与する。あらためて2024年の今、生き残りサヴァイヴァーとはどういうことだと言えるだろうか。

 

本書が出版された2008年から現在まで、より力を得た概念は資本ではないだろうか。では資本を持つ者が生き残りか。

 

資本とは、文化資本も含むだろう。冒頭のデスチャのメンバーのビヨンセがつい先日、タワーレコード渋谷店に登場した(1)。この出来事は「平坦な戦場」に不意に現れた「外部」だ。「平坦な戦場——それは「モノはあっても物語のない」九〇年代の廃墟のことに他ならない(p.62)」。そのような戦場での「サヴァイヴ感」はもはや自ら湧かせるものではなくなっている。「やり過ごすための擬似的な外部性の導入(p.63)」が起こった時にもたらされるものである。では、このビヨンセ登場という出来事においては、直前の告知にすぐに反応し駆けつけたファンが生き残りだろうか。その様子をSNSで楽しめる者が生き残りだろうか。ビヨンセを呼ぶ側が生き残りだろうか。タワレコの経営者が生き残りだろうか。

 

タワレコについて少し記さなければならない。日本はタワレコが米国外初出店を決めた特別な国である。90年代には本国の売上を超え、米国タワレコの経営が傾いていた2002年には唯一業績好調な部門であった。そして日本のタワレコはMBOによって別法人の運営するところとなる。それゆえ、米国では2006年の倒産によりタワレコ全店舗が消滅したにもかかわらず、2024年の現在にも日本ではタワレコが存在しているのである(2)

 

ビヨンセが渋谷に来たのは、タワレコがまだ日本にあるからだ。なぜ、タワレコは日本で生き残ったのか。こんな風にビヨンセのことを書いているわたしは実のところ彼女のファンというわけではない。熱狂的なファンではないわたしが、ビヨンセ登場のニュースに刺激され、浮かれた気分になったのは、それが「サヴァイヴ感」をもたらしてくれる「外部」だったからに他ならない。そして、渋谷のタワレコにはゼロ年代もそれ以降も幾度か立ち寄った。CDは買わなかったかもしれないが雑誌は買った記憶がある。規模の小さい話ではあるが、このように自分の糧となる文化に出費したり話題にしたりということの蓄積がタワレコを日本に残した。最終的に渋谷のタワレコにビヨンセを召喚できた理由がそれだとすれば?熱狂的なファンというわけではない人たちの何気ない行動の積み重ねが、ビヨンセを召喚したとするならば?

 

資本主義の終わりなき日常の中で生き残るにはそうするしかない。つまり、金銭的なもので報いることであろうと批評を書くことであろうと、何にせよ文化に投資することである。引きこもろうがドアを開けようが、どちらでも良い。生きて自分の求める文化を愛し、「外部」が一時的にでも訪れる可能性を保つこと。「平坦な戦場」から完全に抜け出せる者などいない。自分自身が摩耗せず生き残り続けるには一時的にでも「外部」からもたらされる物語にエネルギーを補給してもらうしかないのである。

 

わたしは生き残った (何から?) わたしは諦めない (何を?)

 

ビヨンセが脳内で歌っている。

 

 

 

 

注釈

(1) ビヨンセ、タワレコ渋谷でサイン会を電撃開催! https://www.thefirsttimes.jp/news/0000404876/

(2) コリン・ハンクス 監督 (2015) 『ALL THINGS MUST PASS』 アメリカ

 

 

 

 

 

宇野常寛 (2008) 『ゼロ年代の想像力』 早川書房


コリン・ハンクス 監督 (2015) 『ALL THINGS MUST PASS』 



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